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平安貴族社会の精神構造まで見える

 昨年、「小右記(しょうゆうき)註釈 長元四年」を八木書店から刊行した。平安王朝の研究者である黒板伸夫(くろいた・のぶお)先生を中心とする講読会で積み重ねてきた二十年分の成果を詰め込み、上下二巻で千五百ページの大著になった。
 「小右記」は、藤原実資(九五七〜一〇四六)の日記で、藤原道長の「この世をば」の歌を記すなど、摂関期の栄華を伝える第一級の史料として知られる。
 女流仮名文学の日記(回想録)とは違い、政権の中枢人物が二十歳代から五十年以上も毎日書き続けており、史料としての価値は比較にならないほど高い。同時代の道長の日記「御堂関白記」などと比べても、一日の記述が詳細で記録期間が長く、平安貴族社会のあらゆる情報があるといってもいい。
 ところが、「小右記」の本格的な注釈書はこれが初めてであり、同じ年に千年忌で活況を呈した「源氏物語」とは対照的である。
 その最大の理由は、変体漢文(日本的に変化した漢文)で記されたため、解読が極めて難しい点にある。歴史学では、原史料を活字化する翻刻の仕事が優先され、訓読は各大学での伝統的な指導にゆだねられていた。
 研究者の利用も、各人の関心によって論文に必要な部分を引用する程度なので、興味のない部分を読み飛ばしてしまう傾向があった。
 それを克服して史料の真の価値を掘り起こすには、大学や研究分野を異にする者が集まり講読会を開く必要があった。そして、その成果を一回限りとせず、規範的な読み方を広く提示しようとした。
 しかし、作業は難航を極めた。時代背景、政治システム、社会構造、儀式次第、血縁関係、家族生活、信仰習俗、言語など、およそすべての事項を把握していないと正確に解読できない。
 また、読点の打ち方や一文字の解釈で、全く意味が変わってしまう。特に苦心したのは、会話文である。その範囲に鉤括弧を施したが、「云・曰(いはく)」などで始まり「者(てへり)」「云々(うんぬん・しかじか)」で終わるのが原則とはいえ、不明確な場合が多く、その特定には最後まで検討を重ねた。
 それらを精査しながら原文を読み進めると、平安時代の実態だけでなく、当時の人々の感情があらわになり、日本的な意志決定のあり方や精神構造までが見えてきた。
 本書であつかった長元四年(一〇三一)は、道長が没して四年が経過し、時代の転換や社会の変動を象徴する事件が多発した重要な年である。
 しかも、同時代のもう一つの日記「左経記」や「日本紀略」の書下し文とも対照できるようにし、人名、官職・身分、場所、年中行事などの考証は、索引・地図・註釈と関連させ、平安貴族の思考形態に近い多角的な読解ができるようにした。
 わずか一年分であるが、本書を用いて勉強すれば、平安貴族の世界に浸り、時代の変化を肌で感じながら、日本史の原風景をたどれるだろう。新しい研究分野を開拓する糸口を見いだすことにもつながり、変体漢文で書かれた古記録の読解に慣れれば、他の時代の研究にも役立つはずである。
 基本とされる史料と真摯(しんし)に向き合い、フィクションでもなく、デフォルメされてもいない歴史を自らの力で描く人材が一人でも多く育成され、そこから次世代に必要な歴史観が生まれるように期待している。(明星大教授)
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